2014年8月10日日曜日

Under Construction



ご訪問ありがとうございます。




****** 突然ですが、 しばらく工事中とさせて頂きます。 ******



2014年8月6日水曜日

注意書き大国、ニッポン!





どうも、ご無沙汰しております。
この夏はみなさま如何お過ごしでしょうか。

意外や、意外に、今年の夏のアトランタは涼しくて驚いております。 と、いうのも、猛暑の時期は自分がこちらにいなかったからそう感じているのかもしれません。

先日、我が家も日本の一時帰国から戻ってまいりました。 夫はお留守番でしたが。


大好きな家族、美味しい食材、料理、温泉にお風呂、公共交通の便利さ、流れるように物事がスムーズに運ぶ日本社会、あ~~~、日本に来ると骨の芯から安心感が感じられる~~~。

と、すでに遠い、遠いところにあるアメリカのことなんて、ちっとも懐かしくもなく、やっぱり自分は日本人なんだなーっと浸っているのも束の間、それも一か月過ぎると...あれれれれ、なんかいつもと違う…なハプニングを目にするのです。

んで、今回、改めて圧倒されました。

その、母国の注意書きの多さ! 

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日本社会の注意事項の多さには、薄々気づいてはいたが、ここまで徹底されているとは改めて驚いた。

温泉なんぞいったら、刺青の方、お腹の調子が悪い方はご遠慮ください、湯船に入る前に体を流そうから始まり、必ず戸を閉めてくれ、滑るので足元注意だの、湯船にタオルをつけないで、洗濯しないでくれ、とにかく注意事項が多い。
 初めての外国人客は注意事項を見ただけでパニックにならないだろうか。
ワタシだったら素っ裸で挙動不審に、風呂場でオロオロしてしまいそうだ。

駅でも電車内でも、公園でも、レストランでも、デパートでも、そのエスカレーターの中でも、博物館でも、どこへ行っても注意書きだらけ。
それはわざわざ記載しなくても当たり前なのでは、と思うような常識的な内容から威圧的なものまで幅が広い。

旅行に出かけたときに、偶然、 中学校の修学旅行生らしき団体と一緒になった。
そこはとある資料館の入口で、ちょうどトイレ休憩だったらしく、お行儀よく60人くらいの生徒が地べたに体育座りをしてトイレにいっている生徒たちを待っていた。
どうやら最後の一名を待っているようであった。
その一名が、トイレから慌てて戻ってくると、手ぬぐいを首の回りにまいたジャージ姿の教員が、
「お前っ、みんなを待たせてんだぞっ!!」
と、喝をいれた。
ただでさえ遅れたことで肩身のせまそうなその生徒は、その一言で余計に目立ってしまった。

ワタシ的には、「トイレなんだから待つもなにもね~だろうがっ...。 アンタはお腹こわしたこととかないのかよ。」と、その生徒に変わって手ぬぐいの教員に言いたいのは山々だったが、郷に入ったら郷に従え...と、ワタシも大人しく至近距離で見守っていた。(←って、自分はただの通りすがり人なんだった。)


そもそも、日本社会では度合いに関係なく「人に迷惑をかける」というのが、何よりも罪深いのではないだろうか。



逆にいえば、我々日本人は「他人から平常を乱されるのを非常に恐れている」人種なのかもしれない。



子供を公園で遊ばせていると、自分の立っている位置から視界に入る「注意書き」 看板を数えてみたら、なんとその数、

11個。


公園では犬にうんち、おしっこをさせないでください、から始まり、「通り抜け禁止!」(って、そもそも公園を散歩で通り抜けちゃいけないの?)、ベンチで昼寝しないでください、など、11個の看板があらゆるところに設置してある。

そういえば、アメリカだと普通に他人から愛想で話しかけられることがあるが、

日本で他人から話しかけられるのは注意されるときくらいだった。





日本の様な単一民族の社会で、阿吽の呼吸と呼ばれるこの集団社会は 、実は注意書き看板によって保たれているのかもしれない。

うちの子は、注意書きに書いてある絵が漫画のようで、その内容も面白いらしく、外出すると注意書きを探すのが楽しみになっており、一種のオタク化されていた。

ワタシもせっかくだから、何か面白い注意書き看板があったら記念撮影でも...と思ったが、なかなか茶目っ気溢れるものに巡り合えず...ネットでこんなの見つけてみた。



テメーの子供はちゃんと管理しろよ~っ、的な こちら。

    **ウェブサイトより拝借**



上手いんだか下手なんだか際どいこの絵が気になる… プライベートは謙虚にかくしましょう、的な こちら。

**ウェブサイトより拝借**



良い例は一つしかありませんっ、厳しい感、満載の こちら。っつか、最後の人、はしゃぎ過ぎだろっ!

**ウェブサイトより拝借**


 

時には煩わしく感じる、そんな注意書き社会でも、過保護的な親切な注意書きも溢れんばかり存在し、こうやってアメリカに戻ってくるとそんな、小言はウルサイが根が優しい姑チックな日本社会がやっぱり恋しくなってみたりもする。


帰国の楽しみの一つである、日本の伝統、美味しい和菓子にも注意書きは健在だった。




こちらの「たねや」さんの美味しい最中、餡子とお餅の部分と最中の部分が別々に包装されており、開封の際にサンドイッチのように最中で餡子を挟んで頂くというパッケージのしくみになっている。

裏にはこんな注意書きが。






「ご注意:口が乾いていると最中の皮が貼り付くことがあります。」


まさかの自分の口内環境まで指示がくるとは、こんなに謙虚で大人しいパッケージとは対照的にその強気な姿勢に少しビビった。
しかし、ここまで丁寧に書いてあるにも関わらず、ワタシの口は最中の皮だらけになり、危うく最中の皮と一緒に自分の唇の薄皮も剥がれそうになった。






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2014年1月27日月曜日

日本人と、日本語訛りの英語


日本で生まれ育った日本人、特に昭和生まれの世代にとっての「英会話取得」は永遠の課題ともいえる。 

いとこ達からの話によると、今では小学校低学年から英語の授業が必須科目として入っているとか。 
日本の英語教師が英会話ができるかどうかはともかく、彼らの英文法と単語まる暗記の知識に関してはかなりレベルが高い。だから自動的に受験生の知っている単語数もハンパじゃなくなってくる。在米20年弱のワタシは日本の受験生たちに「英語を話せるんです」っなんて間違っても言えない。見たことも聞いたこともない英単語を見せられ、これって何ていう意味?どう使うの?と聞かれ、脂汗を流すのがミエミエだ。そして現代の日本語は和製英語と英単語がまじっていて、とてもややこしい。 




そんな優秀な日本人も海外に一歩出ると、自分の英会話力の無さに愕然とするそうだ。


アップル は アッポー と発音し、

ホワット イズ ユア ネーム は  ゥワッチュア ネーム が正しい発音だ。


そう自信を持っていたはずなのに、いざ渡米してみると現地の人のまくしたてる会話の中の一単語でも聞こえればいいくらいで、せっかく ゥワッチュア ネーム?と問いかけたものの、

Excuse me, say that again?

と返されてしまう。



まだ独身だった頃に知り合いだった30代前半で在米歴10年くらいの日本人の女の子が言っていたことがとても印象的だった。

「ワタシ、自分の英語を完璧にしたいから、(日本語)訛りを矯正できるスクールに通いたいと思うの。」

彼女は自分の話す英語をネイティブの様な発音にしたい、としょっちゅう話していた。
しかし、そんな風に思っているのは彼女だけに限らず、実際、日本人同士で「OOOさんの英語は発音がネイティブに近いらしいよ」、という会話や「XXXくんの英語は発音に気遣ってる割にはただダラダラした感じの話し方だけだよな~。」といったような意地悪く言っているのも聞いたことがある。これまで日本にしろ、在米日本人の間にしろ「ネィティブのような英語」という会話を飽きるほど耳にしてきた。

そんな日本人の話とは変わって、フランス人の知人が言っていたのがこれまた印象的だった。


「英語のアクセント?ワタシは別にアメリカ人のようなネイティブな発音になりたいと思ったことないわよ。ワタシはフランスで生まれ育ったフランス人なんだし、このフランス語なまりの英語が自分のアイデンティティの一つなんだから。きちんとした文法で話をして、通じるくらいの訛りだったら全く直す必要はないと思うわ。」

そういえば、他の外国人の方たちが英語をネイティブのような話し方にしたいっと言っているのはあまり聞いたことがない。

それは我々日本人VSアメリカ人との間にあるコミュニケーションと、他外国人VSアメリカ人とのコミュニケーションの体験に違いがあるからなのだろうか。

長いことアメリカで住んでいて気が付いたのは、多くのアメリカ人は外国人の話す訛りのある英語をカッコイイと思っている人が意外と多い。
以前にアメリカ人の友人が、スペインのテニス男子プレイヤー、ナダルが勝ったときに彼が英語でしたスピーチを聞きながら「なんてセクシーなのーっ!」と喜んでいた。

そんな話を夫にしてみたら、

「要するにGood Lookingな人の訛りはカッコよくて、そうじゃない人のはカッコ悪いってことじゃんっ。」

と率直で厳しいコメントが返ってきた。

たしかに、ペネロペ.クルズのスペイン語訛りの話し方は誰もが羨ましがるのに、シュワちゃんの(オーストリア)ドイツ語訛りの英語はしつこいくらいコメディパロディのネタになっている。

日本人のネィティブの様な英語の発音になりたいという願望はアメリカ社会で受け入れられたいという願望と比例しているのと同時に、その想いは諸外国の方々よりも強いのかもしれない。


ちなみにイギリス人の友人は自分の子供達の英語が、アメリカ英語の発音になってしまうのを非常に嫌がっている… 


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以前にネットでたまたま知ったDr.Steve Robbinsというベトナム系アメリカ人の講演をYoutubeで聞いてからすっかりワタシは彼のファンになった。彼はベトナムから幼いときに移民としてアメリカに移住してきたベトナム系アメリカ人である。

1970年代のこと。彼の母親がとても貧しく未来のない暮らしから脱出す為に、そしてもっとチャンスがあるアメリカへ移住する為に、ベトナムで知り合った恋愛感情のないアメリカ人兵と結婚を約束し、まだ幼いDr.Robbinsを連れて渡米してきた。

しかし、その渡米後は彼らにたくさんの不幸が待ち受けていた。
母親が結婚したアメリカ人義父は、母親に暴力をふるい、のちに二人の間に生まれたDr.Robbinsの妹にも性的暴力をふるい、家庭をめちゃくちゃにした。
70年代のアメリカでベトナム系の人が社会で受け入れられるのはとても困難だったと彼は話す。 学校では仲間外れをされ、自分の訛りのある英語を笑いものにされた。いつもアメリカ社会に、アメリカ人に受け入れられてもらいたくてしょうがなかった、と話す。自分はアメリカ人、白人になりたかった、だから自分の名前を「スティーブ」にした、と。

そんな中、彼の母親は常に「家族を何よりも一番に大切にしなさい。自分のコミュニティー(アメリカに住むベトナム系)の人たちを助けなさい。」と話していたという。
そんな彼も、学業に励み、大学へ進み、素敵な女性と知り合い結婚することになった。
この頃が、彼と母親にとって一番幸せな時期だったと語っている。
しかし、彼が大学院に進むときに最もつらい出来事が2つ起きた。
一つは、ずっと父親から虐待を受けていた妹が友達と失踪してしまった。一緒に失踪した妹の友達は無残な姿で警察に発見されたが、彼の妹は20年たつ今もまだ見つからない。
二つ目は、離れ離れに暮らしていた母親との電話は毎日の日課だったが、ある日、「これからはドナ(彼の奥さん)があなたのお世話をしてくれるわよ。」という言葉を最後に、母親が自殺してしまう。

そして彼は母親がずっと言い続けていた「家族を一番大切に。そして自分のコミュニティーの手助けをしなさい。」という言葉を守り続けていくために、自身の生涯を捧げる決心をしたという。

Dr.Steve Robbinsは世の中の多様性(民族、言語、性、年齢などを問わない)やチームワーク、組織の運営などを追求し、多くの企業や団体に招待され一般の人たちからトップリーダー向けなど幅広く講演をしている。



彼の講演の一部で日本語訳のついた映像を発見しました。
彼はこの講演では、彼の話す下手な「日本語訛りの英語」でスピーチを始め、どんな印象を与えているかについて周りに問いかけることで始まります。












日本語にしろ英語にしろ、訛りのある言葉で話しかけられると、あなたは身構えてしまいますか?

それとも、自分の日本語訛りの英語が気になりますか?



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